子供のころ一番嫌いなドラえもん映画でした。
大人になって改めて見てみても嫌いではないですが、あまり好きではない作品です。
ドラえもん映画16作品目、『ドラえもんのび太の創世日記』の感想を書いていきます!
公開 1995年3月4日
上映時間 97分
オープニングテーマ「ドラえもんのうた」
作詞 楠部工
作曲・編曲 菊池俊輔
うた 山野さと子
エンディングテーマ「さよならにさよなら」
作詞 武田鉄矢
作曲 千葉和臣
編曲 藤原いくろう
うた 海援隊
ざっくりあらすじ
夏休みの自由研究に悩んでいたのび太に、ドラえもんは「創世セット」という宇宙をつくれる道具を用意してくれていた。
のび太は創世セットで宇宙の始まりからつくり、疑似地球の歴史を観察ノートにつける自由研究をすることになった。
疑似地球に生物が生まれしばらくたったころ、同じく自由研究に困っていたジャイアンとスネ夫が押し掛け、しずかちゃんも誘い5人の共同研究として取り組むことになる。
疑似地球には人間が誕生し、困っている人々を神様として助けながら見守って観察をしていくと、人間以外にも昆虫が進化した昆虫人の存在が出てきていた。
昆虫人は地底世界で栄えていたが、地上世界への進出し地上を昆虫人の世界にすることを目論んでいた──。
昆虫人の目的と解決策
疑似地球をつくりなかなか哺乳類が登場しなかったことに焦れ、ドラえもんの道具「進化退化放射線源」を魚の先祖に浴びせ哺乳類誕生のきっかけをつくろうとします。
そのときに虫にも光線があたってしまい、それにより昆虫人も進化してしまったのでした。
昆虫人は哺乳類誕生までは地上は昆虫のもこだった。
哺乳類誕生は不自然であり「神のいたずら」とおぼしき何かがあって哺乳類が進化し、地上に進出してきてしまった。
ここに『本当は地上は昆虫人のものだったのに!』という強い思いがあります。
哺乳類においやられ昆虫人は地底で生きてきたが、人間が地底にまで来たことで地上への侵略を実現させようとします。
火山を噴火させ地上を壊滅した上で攻めるというのです。
昆虫人の科学力も地上よりはるかに進んでいて、人間絶滅の危機です。
これを解決したのはドラえもんでした。
増えるミラーで創世セットを複製し、昆虫人を「哺乳類誕生前の疑似地球」への移住
を勧め昆虫人も了承しめでたしめでたし。
うーーーん。
なんだか納得いかなかったです。
見守っていただけの神様(のび太たち)を見つけたのは、昆虫人のビタノでした。
ビタノには未来からきたロボットのエモドランもいます。
のび太とドラえもんそっくりな関係です。
ビタノが「神のいたずら」の研究をしていて、エモドランからのタイムマシンで本物地球にきていたのです。
なんやかんやあり、ビタノは神様のび太たちと出会い真実を知り複製地球という解決策をもらいました。
めでたしめでたし?
アニメや映画をあんまり深く考えてはいけないとは分かってます。
でも疑似地球から本物地球にいけてしまうって危険すぎるよね、と思ってしまうのです。
タイムパトロールにも追われていたし、疑似地球の昆虫人が現実本物地球よりも科学発展し侵略することもあり得ますよね?
放置でいいのかな?
そんな危険なひみつ道具なんて欠陥道具にもほどがある
いまいちその①
疑似地球の人物が主人公になってしまっている。
のび太たちの冒険ではなく、創世した地球人の冒険でのび太たちはそれを観察するという構成だからかつまらなく感じました。
視聴者はのび太たちを見てて、のび太たちは地球観察している。
このストーリーは実はのび太たちが作った世界なんだよ! のようなスピンオフならおもしろかったかもしれません。
いまいちその②
地球や生物を創世できるという万能で神の領域な力をもつ道具は無理がありすぎるかなと。
疑似地球から現実地球に来れてしまうのは、疑似地球からの侵略すらあり得る危険をはらんでいます。そんな道具は普通は認証されないでしょう。
しかもこの道具「未来デパート夏休み宿題コーナー」から届いています。
これが子供のつかうものかな?
それにドラえもんは地球を創世してその観察日記をつけて自由研究にしろと言いますが、これを20世紀の小学生の自由研究にして出すの?
地球をつくったなんて信じてもらえないと思うのですが。
子供アニメ映画なのでストーリー上の無茶は受け入れなければいけないですけどね。
今回は少し気になってしまいました。
いまいちその③
テーマが分かりにくい。
ドラえもん映画はだいたい何かしらの教訓めいたものがありますが、今回はちょっと分かりにくいです。
地球は人間だけのものじゃないんだよ。ということでしょうか?
地球の歴史を教えたかった?
疑似地球で太陽が本物より小さい。なのに人間の辿る歴史が現実とほぼ同じというのも無理矢理な感じがします。
いまいちその④
昆虫人に感情移入できない。
なんとしても地上にでたい昆虫人は人間側代表ののび秀が「地上の半分で納得してほしい」と交渉するも拒否。攻めることを諦めませんでした。
本当は虫が地上で栄えるはずだった。これは思い込みな気がします。そんなの分からないですよね?
神のいたずらで哺乳類が進出して追いやられ地底で生きていた。これも普通に生存競争に負けただけ。
地上は昆虫人のものになるはずだったから、人間と共存する気がなく地上すべてを自分たちのものにするという考え。
自分勝手だな、交渉の余地なしなら地上人にこの計画をなぜ話したのか?
『ドラえもんのび太と竜の騎士』でも地底人である恐竜人が地上に憧れ聖戦を挑みましたが、恐竜人の戦いは恐竜人の立場から考えれば「聖戦」であると素直に思えました。無益な争いもしませんでした。
今回の昆虫人は聖戦とは言っていませんが、地上を取り戻したいという点では似ています。
しかし自分たちが絶対正しい交渉もしないという態度に恐竜人のような騎士道はなく、共存拒否しているのに悪いのは全て人間であり地上を壊滅させるという非道さに共感が出来ませんでした。
まとめ
子供のころから好きではないドラえもん映画でした。改めて大人になってから見てもその印象はあまり変わりません。
のび太たちの大冒険が見たいのに、のび太たちが観察しているのを見ているだけ。というのが少し残念でした。
音楽は大好きですが、私にとってはいまいちな作品でした。
以上、映画『ドラえもんのび太の創世日記』たまこ の感想でしたฅ(´꒳ `ฅ)ꪆ
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